第9回tweet

夕方、急に思い立ってスマホをテレビで見るためのケーブルをホームセンターで買ってきた。YouTubeやシラスをテレビで見れて満足できるかと思ったら、確かに見られはするんだけど動画がスムーズじゃなくてちょっと残念だった。YouTubeって動画の終わりに次に見るのにおすすめな動画のサムネイルが差し込まれて邪魔だけど、その表示が省かれてるのはとても良い。今は1997年J-POPのMVのプレイリストを流してる。

 

今朝、注文していたカプサイシンが届いたんだけど、部屋に危険物を置いてるみたいな物騒な気持ちがして心が落ち着かない。致死量の睡眠薬を部屋に置いてるような気分。明日は激辛ラー油まで届くんだけど、本当に落ち着かなくなったら捨てると思う。

 

最近ふと感じたこと。人の顔が描かれた絵でたまにすごく怖いものがある。この怖さはホラーというわけではない。写実的であることによる怖さという気がする。ボッシュとか、ファンタスティック・プラネットとかの……特に目がそうだと思う。

ここでいう怖い目と、僕たちが普段生活の中で目にしてるキャラクターの目。僕にはこの二つ同じ起源を持つ目だとあまり思えない。そのくらい違うものに見える。絵と字くらい違う気がする。

どんな形であれ人の顔を描いたことがないという人はほとんどいないと思う。そして大抵の人はなんらかのキャラクター表現を見たことがあり、キャラクターの目を見た経験がその人の描く目の造形を規定している気がする。それによって、人は初めから目を写実的に描く道を奪われてるような気がする。

もしくは、人はそもそも相当の訓練をしないかぎり対象物を写実的に描くことは難しく、基本的には記号的に変換してしか描くことができない、そんななか人の顔に関しては、写実的に絵を描く訓練をした人でさえキャラクター的にとらえないことが難しい、それは人の顔が特別そういうバイアスがかかりやすいものであるから……ということかもしれない。

僕はかつて美大受験の予備校で講師をしていたことがあるが、予備校生が石膏像の頭部を描くときの苦戦の仕方を見ていると顔が特別ということが感じ取られた。キャラクターを描く線で対象の印象を捉えることができない苦しみで画面が満ちていた。

キャラクターには文字という意味があるけど、今キャラクターのものとして描かれている目の起源は、目を写実的に描いたものをデフォルメしたのではなくて、目を記号的に記したものを写実に寄せたものなんじゃないかという気がする。つまり象形文字と同じ起源なんじゃないかと思う。

そんな中で確固たる意志か技術かで写実的に顔に接近して描いた目は、人が見たいと思っていない目の本当の造形を差し出すために怖いのかもしれない。

ここで述べたことになんの根拠もないが、自分の勝手な考えが整理できたので、こんご美術史を見直して特に目の描かれ方を追っていく動機ができた。