第7回tweet

今日は休み。休んでいても気が休まらない。

もっと責任が少ない仕事に変えたいが、それよりもこの状況慣れるべきか。

どうせ逃げた先でもなんらかのことを引き受けなければならない。

いつも仕事場に着いて少し時間が経つと「この仕事でいいか」と思う。

自分にとって大事なのは休暇中に心が休まるかどうかなので、仕事中にその判断していることは、休暇中の自分の苦しみを無視して勝手なことを言っているだけな気もする。

 

美術検定の勉強をしている。

合格した先に何か目標があるわけではなく、合格できるくらいにまで勉強することで美術史を自分勝手に理解している状態を正したいというのが動機。

美大を出ていても美術検定4級程度のことを語れない卒業生はたぶん多い。少なくとも自分はそのうちの1人だけど、自分だけがそうで自分以外の学生はそうでなかったという印象はほとんどない。

知らずに自分ひとり取り残されていた可能性は大いにある。

よく考えると僕には詳しいことが本当になにも無い。

美大出で普段美術に興味があるふりをしていて美術史があやふやだっていう人間が、他の何かに詳しいはずがない。

このまま詳しいことが何もないのはつまらないので、せめて検定を目指すくらいの知識をと思う。

 

今日の晩飯は麻婆豆腐と焼きビーフンのどちらか。

休日の晩飯調理時間は悲しい。

その時間がその日いちばんのイベントであることが大抵で、空虚さに襲われる。

なのに何もする気が起こらない。出かける気が起こらない。

なぜ休日を充実させなければならないのか。体を休めるために一日中寝転がっていたことに納得できないのはおかしいのではないか。

もし日々の仕事で充実を感じられていれば、休日の充実などと言い出すことはない。

一方で、休日を充実させるために出かけるという発想ではなく、単に出かけた方が心身ともにリフレッシュできるという発想もありえる。

実は一日中家にいて何もしないことに対して言い訳をするために使う脳みその仕事量は、出かけて新しい景色に出会うための歩行の疲れを上回っているのではないだろうか。

などと言いつつやっぱり、「出かけた方がいいのだ」という強迫観念さえなければ言い訳する必要だって生まれないはずなのだから、仕事が自分にとってやりたいことでそこで充実を感じられるのが自分にとっては一番望ましいことだという結論になる。